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ハインリヒ10世 (バイエルン大公) : ミニ英和和英辞書
ハインリヒ10世 (バイエルン大公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
大公 : [たいこう]
 (n) archduke
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ハインリヒ10世 (バイエルン大公) ( リダイレクト:ハインリヒ10世 (バイエルン公) ) : ウィキペディア日本語版
ハインリヒ10世 (バイエルン公)[はいんりひ10せい]

ハインリヒ10世Heinrich X, 1100年または1102年頃 - 1139年10月20日)は、バイエルン公(在位:1126年 - 1139年)、後に兼ザクセン公(在位:1137年 - 1138年)。ザクセン公としてはハインリヒ2世。「尊大公・世尊公・傲慢公・傲岸公(''der Stolze'')」などと呼ばれる。
バイエルン公ハインリヒ9世(黒公)とその妻でザクセン公マグヌスの公女ヴルフヒルトの長男。妹のユーディト(姉の説もある)はシュヴァーベン大公フリードリヒ2世(独眼公)に嫁ぎ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)を産んでいる。
1126年に父が死去し、後を継いでバイエルン公となった。1127年にはドイツ王ロタール3世の一人娘ゲルトルートと結婚し、後に1子ハインリヒを儲けた。結婚後、ハインリヒ10世はロタール3世とホーエンシュタウフェン家のシュヴァーベン大公フリードリヒ2世・コンラート兄弟の戦いに国王側について参戦した。フリードリヒ2世は1133年に降伏し、翌々年に講和が結ばれた。1136年には、皇帝となっていたロタール3世に随ってイタリア遠征に参加し、ここでの功績によってトスカーナ辺境伯に叙され、ザクセンの相続人にも指名された。
1137年12月3日にロタール3世が死去するとハインリヒ10世は次代国王の有力な候補者となった。しかし強力な皇帝を嫌った諸侯により、国王にはかつての敵だったコンラートが選出された(コンラート3世)。ハインリヒ10世は新王に対してザクセン公位の承認を求めたが、彼の強大化を恐れたコンラート3世は2つの公位を兼ねるのは不法だとして拒否した。交渉は決裂し、1137年7月にハインリヒ10世は捕らえられ、2年後にクヴェトリンブルク修道院で死去した。ザクセンは母方の従弟のアルブレヒト熊公に、バイエルンはオーストリア辺境伯レオポルト4世に与えられた。
ハインリヒ10世とゲルトルートは、ケーニヒスルター聖堂参事会教会に義父ロタール3世と並んで葬られている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハインリヒ10世 (バイエルン公)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henry X, Duke of Bavaria 」があります。




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